Too Late? -ver.2015- 月並みな言葉で言えば、まるで星を散りばめたように。街路樹の枝という枝の先で、小さな電球が光り輝く寒空の下を、男は全速力で走っていた。 イブを過ぎた街は昨日までの喧騒が嘘のようにおとなしい。 こんなはずじゃなかった。 最悪だ。なんて様だ。自分から呼び出しておいて、すっぽかすなんて。 蔵馬は走りながらネクタイを緩めると、さらに足を早めた。口から吐き出した息が、蒸気機関車の煙のように次々と白い塊となって冷たい空気の中に消えていく。ぶら下げたコンビニ袋はカシャカシャと安っぽい音をたて、中の箱が跳ねる。 あぁ、まだ居る… 自宅のマンションの方向からかすかに感じる馴染んだ妖気。 「飛影!!」 蔵馬の声に、マンションの扉を背に座り込んでいた飛影が、ゆっくりと膝の間に埋めていた顔を上げる。 「なんでこんなところにいるんですか?!」 息も絶え絶えに声を荒げる蔵馬に、飛影は怒るでも喜ぶでもなくただ蔵馬を見つめた。 「貴様が俺を呼び出したんだろう。」 長く冷たい空気に晒されていたからだろうか、飛影の白い頬が月明かりに余計に青白く見えて、蔵馬は顔を歪ませる。 なんでわざわざこの凍てつくような寒空の下で待っている必要がある? 短気な彼が、待っていてくれたことが素直に嬉しいはずなのに、それよりも惨めさに卑屈になってしまった心が全面に出てしまう。 第一回の魔界トーナメントから十数年。度々妖狐の体に戻った反動からか、年を追うごとに妖力は弱くなっていき、遂には植物を操る能力も失った。呼べばこうやって彼は来てくれるが、もう自分が魔界に行くことはできない。 それとも長い時を生きる飛影には、この程度の時間などほんの一瞬なのだろうか。自分も千年以上の時を生きてきたはずなのに、すっかり人間の時間感覚に慣れてしまって、もう妖力があった頃の感覚が思い出せない。 そんな蔵馬を見上げ、飛影は僅かに首を傾げる。 「玄関(こっち)から入れと言ったのはお前だろう?」 情けなく大声をあげた蔵馬を飛影はじっと見つめた後、ふいに目を伏せて顔を逸らした。 「・・・閉まってた。」 一瞬だけ飛影が見せた寂しげな表情に、頭の中を占めていた卑屈な心がスッと引いて我に返る。 「ごめん。」 締め出したのは自分の方だったのに。 「ずっと外で待ってたんですか?」 今にも泣きそうな顔の蔵馬に対し、再び飛影は顔を上げる。 「お前を待つくらいなんでもない。それに・・・」 愛想のない口が紡ぎ出す言葉に蔵馬は思わず息を止めて固唾をのむ。 「お前がいないなら、どこで待っていようと同じことだ。」 その瞬間、何かが心の中ではじけ飛んだ気がした。 唇に感じる氷のように冷えきった柔らかな感触。 「なっ・・ン・・・・・」 息を吸い、文句を言いかけた飛影の言葉ごと、もう一度口を塞ぐ。指を這わせた耳の先も、絡ませた指も氷のように冷え切っていて、その冷たさに胸が締め付けられる。 「ハッ、はふっ・・ハッ・・・」 唇を離した僅かな隙に互いの口から洩れる息が、白く視界を曇らせる。 「何を考えてるんだ!きさ・・」 自分の言葉を遮って発せられた蔵馬の突然の言葉に、飛影は何を言われたか分からないというように、キョトンとして目をしばたたかせる。 「飛影、オレと結婚してくれませんか。」 蔵馬はもう一度同じ言葉を繰り返す。月を背にした蔵馬の顔は影になってよく見えない。 「本当は、一生言うつもりなんてなかったんですけど・・・。 蔵馬の言葉が静かに凛とした空気の中に紡がれていく。 「・・ざけるな。」 俯いた飛影が小さく低く呟く。 「やっぱり嫌ですか?こんな妖怪崩れじゃ。 蔵馬が自嘲気味に乾いた笑いを浮かべたその瞬間、飛影のナイフのような鋭い目が光り、ヒュッと黒いマントの下の腕がしなる。 殴られる… 唇に感じる、燃えるように熱い柔らかな感触。 「死ぬまでだと?暇つぶしだと?・・・ふざけるな。」 飛影が呟きのような言葉を発する度に、熱い息がうなじにかかる。 「くだらんプライドを後生大事にしやがって・・。散々待たせた挙句がそのセリフか。」 コートの襟元を掴む飛影の指に力が入る。 「俺をこれだけ待たせておいて、勝手に死ぬなど許さん・・・」 その言葉に蔵馬は目を見開く。 嗚呼、オレはどれだけ長い間勘違いをしていたのだろう? オレは、自分のプライドを捨てきれずに・・・ 「ごめん。ごめん飛影・・・・・」 蔵馬は飛影の細い身体を抱きしめる。飛影の体は思ったよりずっと温かい。 「貴方と、ずっと一緒にいたいです・・・」 こんなはずじゃなかった。 でも、もうそんなことはどうでもいい。 腕に力を込めた拍子に、蔵馬のポケットの中身がカサリと音をたてた。 「そうだ飛影。これ燃やしてくれませんか。」 蔵馬がポケットから取り出したのはクシャクシャに丸められた一枚の紙。 「お前・・・これ・・」 確かめるように、暗がりの中で翡翠の瞳の奥を覗きこんでから、飛影は紙ごと右手を一度握りこみ、もう一度ゆっくりと開いた。 掌の上に燃え上がる一灯の炎。 待ちに待ったクリスマス。 まさかこんなところで人間の体を乗っ取った因果を受けるとは思わなかった。 母親と同じ病。
「飛影。紅茶を淹れて、ケーキ食べましょうか。」 飛影は目線で、廊下の床に無残に転がったコンビニ袋を指し示す。 「ええ、だいぶ崩れてしまっているかもしれないですけど。」 そう言って立ち上がりかけた飛影の肩を蔵馬はぐいと押し戻す。 「その前に。」 蔵馬は鼻がつきそうなほどの至近距離に顔を近づける。 「もう一度だけここでキスしていいですか?」 途端に飛影の顔が赤面する。 唇に感じる温かな柔らかな感触。 サンタに欲しいものをお願いするにはもう遅すぎるけれど、ケーキの上に乗った砂糖菓子のサンタに願おう。 この温もりと少しでも長く一緒に過ごせる時間を。 Fin. 2015 Christmas UP Copyright © 翼の小箱 All Rights Reserved. |