Too Late?  -ver.2015-



月並みな言葉で言えば、まるで星を散りばめたように。街路樹の枝という枝の先で、小さな電球が光り輝く寒空の下を、男は全速力で走っていた。

イブを過ぎた街は昨日までの喧騒が嘘のようにおとなしい。
まばらに歩く人を避けながら、蔵馬はじんわりと額に滲んだ汗に、首に巻いていたマフラーを緩める。無造作に突っ込んだコートのポケットの中身が、走る動きに合わせてカサカサと音を立てる。片手に下げた袋には、駅前のコンビニの前で、半額で叩き売られていたショートケーキの箱。

こんなはずじゃなかった。
本当は、彼の好きなイチゴがたっぷり乗ったケーキを作ってあげるつもりだった。チキンも好物のハンバーグも作ってあげて、シャンパンも用意するつもりだった。今頃暖かな部屋の中、揺れる蝋燭の灯りで二人でグラスを傾け、用意してあったプレゼントを手渡しているはずだった。

最悪だ。なんて様だ。自分から呼び出しておいて、すっぽかすなんて。
言い訳はいくらでも出てくるけれど、それを言ったところでどうにもならない。

蔵馬は走りながらネクタイを緩めると、さらに足を早めた。口から吐き出した息が、蒸気機関車の煙のように次々と白い塊となって冷たい空気の中に消えていく。ぶら下げたコンビニ袋はカシャカシャと安っぽい音をたて、中の箱が跳ねる。
きっとこれじゃケーキもぐちゃぐちゃだろう。そう思いながらも足は止めず大通りを抜けて脇道に入る。
終電の終わった住宅街に人影はなく、家々は寝静まっている。

あぁ、まだ居る…

自宅のマンションの方向からかすかに感じる馴染んだ妖気。
エレベーターを待つのもまどろっこしくて、階段を駆け上がる。
最上階の廊下の一番端。外廊下の蛍光灯の光も届かない陰に黒いものがうずくまっていた。

「飛影!!」

蔵馬の声に、マンションの扉を背に座り込んでいた飛影が、ゆっくりと膝の間に埋めていた顔を上げる。
あぁ、なんだお前かというように、薄暗い月明かりの中で紅い瞳が表情を変えずに蔵馬を見上げる。

「なんでこんなところにいるんですか?!」

息も絶え絶えに声を荒げる蔵馬に、飛影は怒るでも喜ぶでもなくただ蔵馬を見つめた。

「貴様が俺を呼び出したんだろう。」
「そうじゃなくて、なんでドアの前なんかに・・・」

長く冷たい空気に晒されていたからだろうか、飛影の白い頬が月明かりに余計に青白く見えて、蔵馬は顔を歪ませる。

なんでわざわざこの凍てつくような寒空の下で待っている必要がある?
一体夕方の約束の時間から何時間経ってると思ってるんだ。

短気な彼が、待っていてくれたことが素直に嬉しいはずなのに、それよりも惨めさに卑屈になってしまった心が全面に出てしまう。

第一回の魔界トーナメントから十数年。度々妖狐の体に戻った反動からか、年を追うごとに妖力は弱くなっていき、遂には植物を操る能力も失った。呼べばこうやって彼は来てくれるが、もう自分が魔界に行くことはできない。
もはや人間の自分が彼にできることなんて、せいぜい手料理を作ってやることぐらいしかできないのに。それさえもできずに、約束も守れず、寒空の下ずっと待たせていたなんて。

それとも長い時を生きる飛影には、この程度の時間などほんの一瞬なのだろうか。自分も千年以上の時を生きてきたはずなのに、すっかり人間の時間感覚に慣れてしまって、もう妖力があった頃の感覚が思い出せない。
妖怪である飛影にとってはこれぐらいの寒さは大したことはないのかもしれない。彼にとっては自分は、ほんの暇つぶしでしかないのかもしれない。
そんなことを思って少し寂しくなる。

そんな蔵馬を見上げ、飛影は僅かに首を傾げる。

「玄関(こっち)から入れと言ったのはお前だろう?」
「なんで部屋の中に入ってなかったんです?窓から入ればよかったでしょう?」

情けなく大声をあげた蔵馬を飛影はじっと見つめた後、ふいに目を伏せて顔を逸らした。

「・・・閉まってた。」
「え・・・?」

一瞬だけ飛影が見せた寂しげな表情に、頭の中を占めていた卑屈な心がスッと引いて我に返る。
と、同時に蔵馬は頭の中で記憶を必死に遡る。窓の鍵を閉めた記憶はない。
あぁ、そうか。母親だ。数日前に家に来た母親が余計な気を効かせて閉めて行ったのだろう。

「ごめん。」

締め出したのは自分の方だったのに。
場違いな怒りを飛影にぶつけた自分がことさらに情けなくてやるせなくなる。

「ずっと外で待ってたんですか?」

今にも泣きそうな顔の蔵馬に対し、再び飛影は顔を上げる。
感情を出さない紅い瞳が、それがどうかしたか?と語りかける。

「お前を待つくらいなんでもない。それに・・・」

愛想のない口が紡ぎ出す言葉に蔵馬は思わず息を止めて固唾をのむ。

「お前がいないなら、どこで待っていようと同じことだ。」

その瞬間、何かが心の中ではじけ飛んだ気がした。
無様な音を立てて、ケーキの箱が袋ごと床に落ちる。

唇に感じる氷のように冷えきった柔らかな感触。
気がつくと、床に膝をついてその場で飛影にキスをしていた。

「なっ・・ン・・・・・」

息を吸い、文句を言いかけた飛影の言葉ごと、もう一度口を塞ぐ。指を這わせた耳の先も、絡ませた指も氷のように冷え切っていて、その冷たさに胸が締め付けられる。
息つく暇も与えまいと蔵馬は自分の唇を押しつけるように、何度も何度も飛影に口づけた。

「ハッ、はふっ・・ハッ・・・」

唇を離した僅かな隙に互いの口から洩れる息が、白く視界を曇らせる。
はじめは抗い強張っていた飛影の身体から次第に力が抜けていく。
繋いだ指先が温かさを取り戻し、白い頬がほんのりと薄紅色に染まったころ、漸く蔵馬は唇を離した。
潤んだ瞳が蔵馬を睨みつける。

「何を考えてるんだ!きさ・・」
「オレと、結婚してくれませんか。」

自分の言葉を遮って発せられた蔵馬の突然の言葉に、飛影は何を言われたか分からないというように、キョトンとして目をしばたたかせる。

「飛影、オレと結婚してくれませんか。」

蔵馬はもう一度同じ言葉を繰り返す。月を背にした蔵馬の顔は影になってよく見えない。

「本当は、一生言うつもりなんてなかったんですけど・・・。
どうしても、今言いたくて。おかしなことを言ってるのは分かってます。
こんな何の能もない人間と一緒にいたって仕方ないし、言う資格もないのはわかっているけど・・・。
オレが死ぬまででいい。貴方の人生の時間を、オレにもらえませんか。」

蔵馬の言葉が静かに凛とした空気の中に紡がれていく。
飛影は驚きに目を見開いたまま、呆れとも戸惑いともとれる笑いを一瞬口元に浮かべ、それから急に真顔に戻るとゆっくりと目を伏せた。

「・・ざけるな。」

俯いた飛影が小さく低く呟く。
その様子を見て、蔵馬はふぅと息を吐く。

「やっぱり嫌ですか?こんな妖怪崩れじゃ。
でも暇つぶしにはもってこいでしょう?せいぜい十数年ですよ。
貴方の人生からしたら一瞬でしょう?」

蔵馬が自嘲気味に乾いた笑いを浮かべたその瞬間、飛影のナイフのような鋭い目が光り、ヒュッと黒いマントの下の腕がしなる。

殴られる…
咄嗟に目を瞑る。

唇に感じる、燃えるように熱い柔らかな感触。
気がつくと、胸倉を掴まれ、飛影にキスをされていた。
唇が離れると同時に、止めていた息がほぉっと白い靄となって口から漏れる。
飛影は潤んだ瞳で蔵馬をちらりと見上げると、バツが悪そうに蔵馬の首元に顔を埋めた。

「死ぬまでだと?暇つぶしだと?・・・ふざけるな。」

飛影が呟きのような言葉を発する度に、熱い息がうなじにかかる。

「くだらんプライドを後生大事にしやがって・・。散々待たせた挙句がそのセリフか。」

コートの襟元を掴む飛影の指に力が入る。

「俺をこれだけ待たせておいて、勝手に死ぬなど許さん・・・」

その言葉に蔵馬は目を見開く。

嗚呼、オレはどれだけ長い間勘違いをしていたのだろう?
飛影はずっとずっと前からオレのことを待っていてくれたのに。
オレの為にずっと傍にいてくれていたのに。

オレは、自分のプライドを捨てきれずに・・・
勝手に自分には飛影の隣にいる資格なんてないと思い込んでいたのだ。
妖怪だろうと人間だろうと、そんなことはどうでもいいことだったのに。
彼の傍らにいられるなら、同じことだったのに。

「ごめん。ごめん飛影・・・・・」

蔵馬は飛影の細い身体を抱きしめる。飛影の体は思ったよりずっと温かい。

「貴方と、ずっと一緒にいたいです・・・」

こんなはずじゃなかった。
本当は、彼の好きなイチゴがたっぷり乗ったケーキを作ってあげるつもりだった。チキンも好物のハンバーグも作ってあげて、シャンパンも用意するつもりだった。今頃暖かな部屋の中、揺れる蝋燭の灯りで2人でグラスを傾け、用意してあったプレゼントを手渡しているはずだった。

でも、もうそんなことはどうでもいい。
情けなくても、惨めたらしくても、彼と一緒にいられるなら、それでいい。

腕に力を込めた拍子に、蔵馬のポケットの中身がカサリと音をたてた。

「そうだ飛影。これ燃やしてくれませんか。」

蔵馬がポケットから取り出したのはクシャクシャに丸められた一枚の紙。
蔵馬はそれを一瞥すると、丸めたまま飛影に手渡した。
僅かに読み取れる紙の端には『入院申込書』の文字。

「お前・・・これ・・」
「燃やしちゃって下さい。跡形もなく。綺麗に。」

確かめるように、暗がりの中で翡翠の瞳の奥を覗きこんでから、飛影は紙ごと右手を一度握りこみ、もう一度ゆっくりと開いた。

掌の上に燃え上がる一灯の炎。
オレンジ色の小さな炎は瞬く間に紙を呑み込み、黒い炭に変わったと思った次の瞬間には、一片の煌めきを網膜に残して、冬の寒空へとすべてが吸い込まれていった。



待ちに待ったクリスマス。
今日は早々に仕事を切り上げて、夕食の準備をしに帰ろうかという頃、電話が鳴った。1週間前に検査を受けた病院からの呼び出しだった。

まさかこんなところで人間の体を乗っ取った因果を受けるとは思わなかった。

母親と同じ病。
余命半年だった。




黒い空から、ふわふわと朧げな白い華が、音の消えた街へ舞い落ちる。
マンションの外廊下に落ちてきたそれは、存在を確認する間もなく、消えて床に小さな染みを作っていく。突然襲ってきた染み入るような夜の冷たさに、蔵馬は思い出したように体を震わせた。

「飛影。紅茶を淹れて、ケーキ食べましょうか。」
「あれのことか?」

飛影は目線で、廊下の床に無残に転がったコンビニ袋を指し示す。

「ええ、だいぶ崩れてしまっているかもしれないですけど。」
「フン。食べてしまえば同じことだろ。」

そう言って立ち上がりかけた飛影の肩を蔵馬はぐいと押し戻す。

「その前に。」

蔵馬は鼻がつきそうなほどの至近距離に顔を近づける。

「もう一度だけここでキスしていいですか?」

途端に飛影の顔が赤面する。

唇に感じる温かな柔らかな感触。
繋がった唇から洩れる白い息が二人を白く包んでいく。

サンタに欲しいものをお願いするにはもう遅すぎるけれど、ケーキの上に乗った砂糖菓子のサンタに願おう。
来年も再来年も、その次の年も、その次の次の年も、どうか同じものを下さいと。



この温もりと少しでも長く一緒に過ごせる時間を。



Fin.


2015 Christmas UP


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